☆ある「戦没者名簿」が語るもの


井出亀三郎 ある「戦没者名簿」が語るもの  本の泉社

―『長野県南佐久郡戦没英霊芳名録』(昭和二九年)を例に―

井出亀三郎が書き残す、この鎮魂歌を是非お読みください。


井出 亀三郎(いでかめさぶろう) 1926年(大正15年)長野県生まれ、東京都世田谷区

▲1944年(昭和19年)7月、日本の南進開拓者を目指し国立大東亜錬成員第3部(拓南塾) 卒業(18歳)。陸軍雇員。 北ボルネオ派遣第37軍司令部付きとなり、赴任途中同年9月、バシー海峡で米潜水艦の雷撃を受け乗艦轟沈海没、瑞穂丸に救助され、九死に一生を得てマニラ兵站に収容。同年10月、威第10234部隊に仮転属。11月比島派遣第14方面軍報道部転属、軍属として働く。