磯部利彦 2016年6月24日逝去(享年95歳)


磯部 利彦 (いそべ としひこ) 1920年(大正9年)生まれ、横須賀市

▲1938年(昭和13年)4月 旧制松江中学から海軍兵学校入校、41年3月卒業(69期)

▲1941年11月〜43年2月 飛行学生。

▲1943年2月〜45年5月 霞ヶ浦航空隊教官。1944年6月訓練飛行中、空中火災事故で火傷、落下傘降下して九死に一生を得る。

▲1945年5月第10航空艦隊司令部(土浦)の幕僚(航空乙参謀業務)として、本土決戦 に備え、残存練習機による総特攻・攻撃隊の編成に従事するが、8月敗戦により実行に至らず生き残る。1945年11月〜46年7月唯一生き残った小型旧式空母「鳳翔」に乗り込み呉籍の復員輸送艦第1分隊長兼衛兵司令としてアジア各地からの兵士の復員救出業務にあたる。

▲ひとこと
 戦争は死の商人の金儲けのため、国家が行う最大の愚行であり、それは、憎しみ合う人と人との戦いではなく、愛し合う人と人との別離である。国家権力による最悪の犯罪ともいえる。