ベテランズ紹介
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井出 亀三郎(いでかめさぶろう) 1926年(大正15年)生まれ、東京都世田谷区
バシー海峡、マニラ、バギオ、ヌエビスカヤ州バヨンボン、アシン川流域、陸軍二等兵
石田 雄(いしだ たけし) 1923年(大正12年)青森市生まれ、東京都文京区
東京湾重砲兵連隊、陸軍少尉
磯部 利彦 (いそべ としひこ) 1920年(大正9年)生まれ、横須賀市
海軍兵学校、飛行学生、霞ヶ浦航空隊教官、第10航空艦隊司令部(土浦)の幕僚
猪熊 得郎 (いのくまとくろう) 1928年(昭和3年)東京都日本橋生まれ、横須賀市
水戸陸軍航空通信学校、吉林省敦化飛行場、公主嶺飛行場、シベリアに抑留、陸軍伍長
伊藤 正男(いとう まさお) 1923年(大正12年)生まれ、東京都府中市
東部6部隊、特別操縦見習士官、陸軍航空隊宇都宮陸軍飛行学校、第3航空軍第26錬成飛行隊(ジャワ)、中部ジャワバロスタンビル、陸軍少尉
大石 嗣男(おおいしつぐお) 1922年(大正11年)生まれ、東京都目黒区
学徒出陣、乙種幹部候補生、フイリピン・セブ島、タリサイ収容所、陸軍軍曹
小掠 佐島(おぐらさじま) 1922年(大正11年)生まれ、神奈川県海老名市
満州奉天省遼陽、 ソ満国境老国山、沖縄糸満市、台湾、陸軍軍曹
菊池 定則 (きくちさだのり) 1922年(大正11年)生まれ、群馬県前橋市
旧満州奉天省海城、甲種幹部候補生、海城病院、奉天、釜山傷痍軍人療養所、陸軍1等兵
斉籐 一好 (さいとうかずよし) 1920年(大正9年)山梨県生まれ、神奈川県藤沢市
海軍兵学校に入学、戦艦陸奥、連合艦隊旗艦の長門、駆逐艦雪風航海士、水雷長、潜水学校、巨大潜水艦イ400の水雷長、海軍大尉
白水 英一郎 (しろうず えいいちろう)、1922年(大正11年)生まれ、東京都町田市
学徒出陣、老津飛行場、中国山東省張店飛行場釜山海雲台飛行場、ウルサン、陸軍少尉
三宅 常彦 (みやけ つねひこ) 1915年(大正4年)生まれ、広島市
第1次:北支新河上陸後、塘沽、上海、南京、徐州、安慶、広江、黄海、広済、瑞畠、西狐嶺、 武畠、漢中、北京、塘沽、
第二次:大連、奉天、新京、サイゴン、コンポットラッシュ、タニ、シンゴラ、ツンパト、クルアン、シンガポール、ラングーン、ペナン、マニラ、馬公、高雄、陸軍軍曹
谷口 末廣 (たにぐち すえひろ) 1920年(大正9年)生まれ、東京都武蔵野市
満州国黒竜江省、フィリピンミンダナオ島、カダヤン収容所、レイテ島収容所、ルソン島収容所、陸軍
大曲 覚 (おおまがり・さとる)1992年福島県生れ、東京都
1943年10月海軍第7期飛行機整備予備学生として追浜海軍航空隊に入隊。1944年5月30日少尉に任官。1944年8月15日南方諸島海軍航空隊付きとして硫黄島に赴任。1945年5月末米軍に投降。
小島 清文 (こじま きよふみ)
大学卒業後海軍少尉として戦艦大和に乗艦、レイテ海戦後、1944年12月末26航空戦隊司令部(フィリピン、ルソン島)に赴任。10日後にアメリカ軍が上陸しルソン島内を転戦、山中を彷徨。1945年4月に投降。
近藤 一(こんどう はじめ)1920年(大正9年)三重県生まれ
1940年陸軍独立混成第四旅団第十三大隊入隊(中国山西省遼県に現地入隊)。
山西省、河北省、河南省、1944年8月沖縄上陸、1945年4且9日の嘉数高地の戦闘で負傷、最前線の首里攻防戦で戦闘参加。末吉大石陣地で5月31日まで死守。同日軍命令により脱出し、伊原を警備しつつ、中座高地に布陣。6月20日前後、米軍と対戦、最後の万歳突撃を3決行、捕虜となる。
山内 武夫 (やまうち たけお)1921京都府亀岡市生まれ、
東京外語大学中退、陸軍歩兵軍曹、サイパンに急派、米軍上陸のあと、玉砕戦を生き抜いて自発的に投降、米軍捕虜
藤岡 明義 (ふじおか あきよし)大阪府枚方市生れ、東京都中野区
大阪商科大学、旧陸軍に補充兵で現役入隊、フィリピン、ミンダナオ島生き残り
木村 正夫(きむら まさお)1912年長野県生れ、千葉県柏市
早稲田大学専門部商科卒業、1934年会社就職のあと陸軍電信第一連隊に現役兵として入隊、甲種幹部候補生。1937年12月予備役陸軍少尉。1944年3月東部第八十八部隊に招集。同年7月南支那派遣軍電信第十四連隊所属。1945年8月陸軍中尉。1946年4月復員。
真田 良(さなだまこと)1917年神奈川県小田原生れ、
小田原中学卒業、東京高等商船学校航海科(第112期)卒業。日本郵船入社。1941年から陸海軍輸送船に徴用され乗艦を繰り返す。ガダルカナル海戦などにも参加、沈没により3回、海を泳ぐ。
白崎 勇次郎(しらさき ゆうじろう) 1922年横浜市生まれ、藤沢市
東京逓信講習所卒業、東京中央電信局勤務。1942年12月臨時招集、陸軍二等兵。1943年2月無線通信兵となり第六十三飛行大隊転属(北海道帯広)。1944年1月第十一対空無線隊(樺太大谷)。4月占守島三好野飛行場へ。1945年2月陸軍上等兵。8月18日ソ連軍上陸で戦闘状態。8月23日武装解除。10月14日カムチャッカへ抑留。1948年11月函館復員。
中島 五郎 (なかじま ごろう)1925年群馬県高崎市生まれ。1943年9月陸軍士官学校入学、肺炎で退学。1944年繰り上げ徴兵検査で甲種合格。1945年3月高崎の東部第38部隊に入隊。同年7月北支派遣軍独立歩兵第63大隊編入。同年8月15日、山東省青島市にて日本の敗戦を知るが、12月の八路軍との激戦で負傷。捕えられて八路軍の野戦病院にて治療を受け、1946年10月に復員。
(追記等あり、作成中)