近藤 一 


近藤一(こんどうはじめ)1920年(大正9年)三重県生まれ

▲1940年陸軍に徴集され、独立混成第四旅団第十三大隊入隊(中国山西省遼県に現地入隊)。

▲山西省、河北省、河南省の抗日勢力との間に延々と続いた「泥沼の治安戦」に参加(三年八カ月)。河南作戦後上海市に集合して1944年8月出港。

▲1944年8月沖縄県那覇港上陸、第十三大隊経理部勤務。1945年4且1日米軍が沖縄本島に上陸開始、4月9日の嘉数高地の戦闘で負傷、障害名は右胸部貫通銃創、肺損傷、右鎖骨銃砕骨折。5月初めに野戦病院から第二中隊に復帰、再び最前線の首里攻防戦で戦闘参加。沖縄第三十二軍、軍司令部前の末吉大石陣地で米軍戦闘の火炎放射器、ガス弾等の攻撃を受けつつ5月31日まで死守。200名の中隊員が15名となる。同日軍命令により同陣地を脱出し、伊原を警備しつつ、中座高地に布陣。6月20日前後、米軍と対戦、中隊長行方不明、最後の万歳突撃を3名で決行、捕虜となる。

▲1946年1月10日浦賀港へ復員。

著書:「ある日本兵の二つの戦場」(社会評論社)

   「日本軍兵士、近藤一の忘れ得ぬ戦場を生きる」(風媒社)



【会から一言】

不戦151号(2009年春号)に収録された近藤一さんの講演録、
「苦しくても聞いてください ―戦場での人間喪失―」冒頭部分