山内武夫
2005年7月3日逝去 享年84歳
山内 武夫 (やまうち たけお)1921京都府亀岡市生まれ、
▲東京外語大学中退、陸軍歩兵軍曹、サイパンに急派、米軍上陸のあと、玉砕戦を生き抜いて自発的に投降、米軍捕虜
○不戦「創刊号」より
【要の問題としての民主主義】
・・・。だから、戦後体制の犠牲にされた戦争世代の「元兵士」としては、この「民主主義」を絶対に守り培っていかなければならないし、それが戦争で逝った幾百万の将兵と民間人の死を無駄にしない道だと考えます。
○不戦No.2(1988年4月号)
【「天皇」と「北方領土」】
・・・。もう一つ、天皇と北方領土には共通点がある。それは、”絶対化”という点である。両者とも実は歴史的、相対的なものに過ぎないのに、超歴史的、絶対的なものであるかのように扱おうとする人たちがいたし、今もいる、という意味である。
○不戦No.3(1988年5月号)
【元兵士の文通】
私は今二人の元アメリカ軍兵士と4年越しの文通をしています。二人とも44年の昔、中部太平洋のサイパン島で、日本軍守備隊3万2千名を「玉砕」させた米地上部隊所属の、一人は将校、一人は下士官でした。・・・。私自身について言えば、偶然の重なりというかお恵みで生き残り、7月14日、機会を掴んでアメリカ軍に投降しました。
○不戦No.9(1988年11月号)
【パネル討論「問われる天皇制と天皇の戦争責任」_基調報告:天皇の戦争責任】
・・・とくに、いわゆる軍の統帥権、天皇は直接この頂点に立っていた。ことに15年戦争の時期になると、超憲法的な御前会議や最高戦争指導会議が戦争指導ばかりか政治全般にわたって決定権を握った。天皇はその主宰者です。まさに絶対君主です。