特別な一日
a brand-new day

   「ごめん…本当にすまなかった」
ジミーは、崩れるように倒れたルーに駆け寄ると、細い体を抱きしめ、ぼさぼさになった茶色の髪を撫でながら何度もそう言った。
  場所は町外れの森。時は早朝。ルーは夕べ誘拐されて、ここに連れてこられたのだった。犯人はジミーを仇だと信じていたガンマン。一時はジミーの命もルーの命も危ういと思われたが、ジミーの銃さばきで九死に一生を得た二人だった。ジミーに撃たれたガンマンはぴくりともせずに、そばに転がっている。
  「悪かった、俺のせいで…」
繰り返すジミーはルーの髪に顔をうずめ、その声は泣きださんばかりに震えていた。
「もう、いいの」
やっと顔をあげたルーが、憔悴しきった声で言った。
「来てくれるって信じてた」
疲れた顔に必死で笑みを浮かべてみせるルーの痛々しさに、ジミーは気が狂いそうだった。
「怪我はなかったか?何かされなかったか?」
「大丈夫。ただ縛られていただけ。」
ルーは縄の跡がついた手首を痛そうにさすった。
「立てるか?歩けそうか?」
ルーは答える代わりに、ジミーの肩につかまって立ち上がってみせた。ジミーはルーを抱えるように馬のところまで連れていくと、自分の後ろにルーを乗せた。
「とにかく帰ろう。」

  ジミーは背中にルーの体温を感じながら、ゆっくりと馬を進めた。誰かを後ろに乗せるのは、ピースメーカーの村で会ったアリスの時以来だ。今まで色々な女性に心惹かれてきたけれど、ルーは普通の女性とは違う。もっと特別な存在という気がした。女性としてあがめるというより、他人とは思えない絆を感じる。結局、一番大切な人は一番近くに居たということかもしれない。
 夕べ、ルーがいなくなってみて、どれほど自分がルーを大事に思っていたかをジミーは痛感していた。あんなに苦しい思いをしたのは初めてだ。絶対に彼女を傷つけたくない。もし自分のせいでルーに何かあったなら、俺は一生、自分を許せないだろう。俺のような運命を背負った人間は、誰かと一緒にいてはいけないのかもしれない。でも、ルーをSweetwaterに連れて帰るまでは、責任を持って彼女を守らなくては。責任?責任感からか?疲れた頭が混乱し、ジミーは深く考えるのを止めることにした。

  ホテルに着くと、ジミーはぐったりしたルーをベッドに寝かせた。
「しばらく眠るといい。まだ朝早いから時間はたっぷりある」
「ジミーは?」
「俺は床で少し寝るよ」
「そんなことしないで。このベッドは大きいから半分使って(部屋はダブルだった)。大丈夫、何もしないから」
「それは俺のせりふだよ」
ジミーはにやりとした。どうやらルーに元気が戻ってきたらしい。
  ルーは横になるとすぐに寝入ってしまい、じきに静かな寝息を立て始めた。ジミーはその傍らに座ると、乱れた髪をそっとなでながら、ルーの寝顔を見つめた。やがて立ち上がると上着を脱ぎ、ルーに背を向けてベッドに横になった。起きているつもりだったのに、体は思ったよりずっと疲れていたらしい。久々のやわらかいマットレスの上では睡魔に勝てず、ジミーも眠りこんでしまった。
  ふいに、びくっとしてジミーが飛び起きる。何かが肩に触れたのだ。横を見ると、ルーがすやすやと寝ている。ルーが寝返りをうって、その手がジミーに触ったらしい。ジミーはほっとして、また横になった。すると、今度はルーの手が腕に伸びてくる。その手がさぐるようにジミーの腕をつかむと、次に頭をジミーの肩にもたせかけてきた。ジミーは動けずにじっとして困った顔をしていたが、やがて諦めたように一瞬微笑むと、深刻そうな顔に戻り、再び目を閉じた。

  目が覚めたとき、日はもう高く昇っていた。誰かがドアをバンバン叩いている。
「まだ寝ているのかい?掃除の時間だよ!」
「ちょっと待ってくれ」
ジミーが慌てて起き上がると、体中のあちこちが痛んだ。ルーに遠慮し小さくなって寝ていたためらしい。ドアを開けると、モップとバケツを持った老婆が立っていた。中を覗いてにたにた笑っている。
「ずいぶん長いことお楽しみだったようだね」
「いや、違うんだ。そうじゃなくて…悪いけど、掃除はもう少し後にしてくれないかな。夕べは遅かったんだ。できたらもう一日使いたいんだけど」
そう言いながら、ジミーは思わず赤面した。
「そういうことならフロントで言っとくれ」
老婆はブツブツ言いながらも、にやにや笑いを止めようとしなかった。
「同じことを言う客はたくさんいるけどね」
老婆は首を振りながら次の部屋に向かった。
  ジミーがほっとしてドアを閉めると、後ろで布のこすれあう音がした。
「もう朝?」
ルーが寝ぼけまなこでジミーを見ている。
「朝というより昼だが…まだ休んでいていいよ。俺はちょっと交渉してくる。すぐに戻るから」
  ジミーは顔を洗って髪をなでつけるとフロントに行き、もう一泊泊まれるよう予約を入れた。カーニバルが終わったので他の部屋も空いていると言われたが、一部屋のままにした。ついでにサンフランシスコからの郵便が来ていないかオフィスをたずねると、まだ荷物は届いていないという。
「たぶん、午後には届くと思う。待たせて悪いな」
昨日、ルーが憤慨していたのを思い出し、係員はすまなそうに言った。
「いいさ。その分、滞在費を払えよ」
早く帰りたいと思うジミーだったが、滞在が延びるほどルーを休ませることができる。かえって好都合だ。

  ホテルに戻ると、ルーはいつもの服に着替えて顔を洗っていた。顔色もよくなっている。
「これからどうするの?」
「荷物はまだ届いていなかった。午後になるらしい。考えたんだが、午後に荷物を受け取って出発してもすぐ夜になってまた野宿だ。だったら、ここにもう一晩泊まって、明日の朝早く出発した方がいいんじゃないかな?…俺と一緒というのが嫌でなければだが」
最後の言葉は冗談めかして言うつもりだったのだが、思わず視線を床に落としてしまった。自分は疫病神のようなものだ。一緒にいる人間をトラブルに巻き込むことはもうしたくない。昨日あんなことがあった後で、ルーと一緒にいて大丈夫なんだろうか。
  ルーはジミーの表情が暗くなったのを見てとった。ここでジミーを落ち込ませてはいけない。
「あんたが床で寝るのでなければね」
ルーがにっこりして同意すると、ジミーは目をあげた。その肩から力が抜けたようだった。
「じゃぁ、朝めし、には遅いから、昼めしを食べに行くか」

  昼食に入った食堂で、ルーは真面目な顔をして言った。
「ジミー、夕べのこと、ごめんなさい。本当はわたしがいけないの。大勢の人がいる中で、あんたのことをヒコックと呼んでしまったから。あれがなければ、あんたも危ない目に遭わずに済んだのに…。迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
ジミーはびっくりした。今回の事件は、すべて自分の運命が原因だと思っていた。ガンファイターとして有名になってしまったジミーには敵が多い。無理に決闘を申し込まれたことも何度かあった。そうなったのも自分の行いの結果であり、逃げ出したいと思いながらも運命を受け入れるしかないと思っていた。
「いや、お前のせいじゃない。昨日言わなくてもいつかはこうなった。そういう運命なんだ」
「違う。昨日の事件は防げたはず、わたしが余計なことしなければ。そして、あの人にも一生会わずにすんだかも」
「もういいよ。済んだことだ、忘れよう」
「じゃぁ、これだけは覚えていて。あんたは悪くない。責任もない。一人で背負ったりしないで。わたしもできるだけのことはするから」
ルーの真剣さにジミーは少々たじろいだ。ルーの気持ちはありがたかったが、この話題はもう終わらせたかった。
「わかった。それより、お前が無事で本当に良かったよ」
「わたしも、またジミーに会えて嬉しかった」
ルーが真顔でジミーを見つめているので、ジミーは照れて話題を変えた。
「もう、この話はやめよう。それより今日はどうする?」
「そうね…。ねぇ、今日は本当だったらなかったはずの一日でしょ。だったら、何もかも忘れて思いきり楽しまない?」
ルーが急にいきいきとしてきた。
「魔法で現れたかのような幻の夢のような一日。そんな話を前に読んだことがある。今日を何でもあり、の特別な日にするの」
ジミーにはよくわからなかったが、後味の悪いまま町を後にしたくなかったので、賛成した。
「で、どうする?」
「まずはゆっくりお風呂に入りたい。中継所ではあまり入れないから。」
「わかった。じゃぁ先に使えよ。俺は後でいい」

  ジミーは、ルーが入浴している間に町に出た。忘れようとは言ったものの、お詫びのしるしとしてルーに何かプレゼントを贈りたかったのだ。何がいいかな、花かな。前にルーが欲しがっていたのは何だっけ?…カメオだ。金の鎖のついたやつ。この町にあるかな。どのくらいの値段がするものかな。
 やがて、ジミーは有り金をほとんどはたいて、小さな箱をポケットにしのばせて帰ってきた。正確に言うと、持っていた金を全部出してもカメオの代金には届かず、オフィスに戻って例の係員に金を借りてきたのだった。始めは渋っていた相手も、荷物が届かないで迷惑していることを強調すると、なんとか折れてくれた。一応、身元も割れているので逃げるわけにもいかないだろうと、ジミーを信用してくれたようだった。
 風呂に入ってさっぱりした様子のルーは、再び青いドレスを着ていた。
「思っていたより汚れていなかったので着てみたの。町で楽しむのにはこれでなくちゃ」
ルーはすっかり元気を取り戻したようで、茶目っ気たっぷりにスカートをひらひらさせながら回転してみせた。

  ジミーが風呂を使う間、ルーも町に買い物に行った。ルーも、ジミーも元気づけようとプレゼントを探していた。そして、ジミーに似合いそうな、ちょっとお洒落なシャツを買うと包んでもらった。
  ホテルに戻るとジミーがベッドに腰掛けて待っていた。二人とも、それぞれお互いにプレゼントを渡そうと歩み寄り、何と切り出していいかわからず、また互いの手に持ったものを見つめたまま黙ってしまった。ルーは、くすっと笑うと先に口を切った。
「ねぇ、ジミー。お詫びの印にあげたいものがあるの」
ジミーは目を丸くした。
「謝らないとならないのは俺の方だぜ」
「いいから。わたしの気持ちだと思って受け取って」
「誰かに何かもらうなんて、もう何年もないことだ。対の銃をもらったとき以来かもな」
ジミーは遠慮しながらも、嬉しそうに包みを開いた。出てきたのは、黒地に白い小さな幾何学模様が飛んでいるシャツだった。布地は柔らかく、いつもの服よりずっと高級そうだ。
「黒か。俺の好みの色だ」
「さぁ、早く着てみて」
ルーは嬉しそうにジミーのシャツを脱がそうと手を出しかけ、手をひっこめてジミーが新品のシャツを着るのを待った。
  「わたしはね、自分でドレスを作って売るのが夢だったの。だから誰に何が似合うかには、これでも自信があるんだ。ほら、やっぱり似合う。思った通りだった。」 
「ありがとう。実は俺の方もこれを…」
ジミーがそろそろと小箱を取り出してルーに渡すと、ルーは大喜びした。
「何?わぁ、すごい! これカメオじゃない?!金のチェーンつき!高かったでしょ。でも嬉しい!」
ルーは興奮して子供のように跳ね回ったが、ふいにジミーの腕をつかみ、頬に軽くキスした。
「ありがとう。覚えていてくれたんだ」
ルーの目に涙が浮かびかけてキラキラ輝いていた。ジミーは恥ずかしそうに目をそらすと、言った。
「ただ、そのう…これ買ったら金がほとんどなくなっちゃったんだ。夕食代は借りてもいいかな?」
「もちろん、夕食はあたしのおごりよ。そうだ!いいことを思いついた」
「いいことって?」
「いいから、できるだけ綺麗な格好をして。」
ルーはうきうきしながらカメオを身につけた。青いドレスに金色がよく映えた。ジミーも、髪に櫛を入れてなでつけた。
「さぁ、行きましょ」
ルーがジミーの腕を引っ張る。
「どこへ?」
「写真屋さんのところ。ほら、カーニバルがあったので写真屋が町に来ていたでしょ。うまくすればまだ町にいるはずだから、捕まえて記念の写真を撮ってもらうの。さぁ、急いで!」

 幸運なことに、写真屋はまだ町にいたが、午後の駅馬車で東部に戻ろうと旅支度をしているところだった。ルーが、二人の写真を撮って欲しいといっても、予定があるから、と聞き入れてくれない。するとジミーが何を思いついたのか、写真屋を片隅に連れて行った。
「何をするんです?手荒なことはごめんですよ」
「いいから聞けよ。あんた、ワイルド・ビル・ヒコックの写真を撮りたくないか?」
「ヒコックって?まさか、あなたが?」
写真屋は驚いてジミーの顔を見つめた。
「俺以外に誰がいるって言うんだよ。もし、写真を撮ってくれたら、それを東部で使ってもいいぜ。その代わり、この町にいる間は、俺がヒコックだと誰かにばらしたら承知しないからな。どうだ?」
「やります、ぜひ撮らせていただきます!」
ヒコックと聞いて、写真屋の態度がいきなり丁寧になった。
 「ねぇ、一体、何を言ったの?」
にこにこした写真屋と戻ってきたジミーに、ルーがいぶかしそうにたずねた。
「たいしたことじゃない。ヒコックの写真を撮りたくないか、って言っただけだ」
「そんなこと言って大丈夫なの?また誰かに狙われたら…」
「大丈夫だ。この町ではばらさないようにと言っておいた。言ったところで、その頃には俺達はいなくなっているはずだ」
心配そうなルーに、ジミーはおどけて腕を差し出した。
「さぁ、お嬢様、お手をどうぞ」
ルーは思わず笑ってしまい、ジミーに連れられて仮設のスタジオに入った。
「あんたって、結構ひょうきんなところがあるのね」

 二人の写真撮影は無事に終了した。写真屋は二人に色々なポーズを取らせては首をかしげた。
「もっと近づいてくださいよ。恋人同士らしくね」
それを聞いて二人は顔を見合わせたが否定しなかった。実際、写真屋はルーをヒコックの恋人だと信じていた。写真ができあがるのは翌日以降になるというので、できあがり次第Sweetwaterまで送ってもらうことにした。
  「本当にあの人ばらさない?」
スタジオを出ても心配そうなルーだったが、ジミーが太鼓判を押した。
「やっこさん、写真の現像とやらで今日いっぱいは忙しいはずだぜ。あれだけたくさん撮ったんだし」
「そういえば、写真代は?」
「ヒコックの写真を撮らせてやったんだ。向こうから貰ってもいいくらいだ」
「ジミーったら、そこまでやらせたの」
ルーは呆れたが、ジミーは得意げだった。
「やつは俺達のことを恋人だと信じていたしな。そのうち東部でヒコックに恋人ができた、ってニュースになるかもしれないぞ」
「そして彼女は、ヒコックに憧れる女性たちから嫉妬されるわけね。ねぇ、いっそのこと今日はこのまま恋人同士のふりをすることにしない?」
ジミーはためらった。願っても無いことだが、それでルーはいいんだろうか。昨日までの落ち込みが嘘のようにはしゃいでいるルーを見て、ジミーは心配になった。ルーはじれったそうに言う。
「あんただって昨日はまんざらでもなかったでしょ。それに、太陽は輝き空は美しいって言ったのは誰?」
「わかったよ。で、どうすりゃいいんだ?」
「難しいことはないの。ただにこにこして、わたしをちゃんとエスコートしてくれれば」

 二人は腕を組んで町へ繰り出した。昨日に続き素晴らしいお天気だ。そして昨日と同じように、道行く人の殆どが二人をうらやましそうに眺めている。すれ違うときに、ルーに会釈する男性も何人もいた。尻込み気味だったジミーも、段々とそれに慣れて大胆になってきた。何といっても、こちらにはこれだけの美人がついているんだ。
  こうしてその日の午後、ルーとジミーはあちこちの店を覗いたり、ひやかしたり、町をただ散歩したりして過ごした。途中、オフィスに寄って、ようやく届いた荷物を受け取った。係員はルーを見ても昨日の不機嫌なルーと同一人物だとはまったく気づかなかった。荷物をジミーに渡しながら小声で、
「お前、いつあんな美人と知り合ったんだい?」
とたずねたほどである。それを聞いてジミーは思わず苦笑した。
「秘密にしておくよ。」
係員の羨ましそうな視線を背中に感じながら、ジミーは得意気にオフィスを出た。
  何もかもが楽しい午後、一度だけルーの顔が曇ったことがあった。歩き疲れてお茶を飲んでいるとき、思わずジミーが聞いたのだ。
「そういえば、お前のきょうだいたちはどうした?まだあの孤児院にいるのか?」
ルーの顔から笑顔が引っ込み、視線がテーブルに落ちた。
「いいえ」
ジミーは余計な詮索をしたようだ、と気まずい思いになった。
「すまん、余計なことを聞いたかな」
「いえ、いいの。あんたが悪いんじゃないの。」
ルーは慌てて打ち消す。
「実は、二人ともカリフォルニアに行ってしまったの。里親が見つかって、新しい家族の一員になったわけ」
「だって、お前がひきとって一緒に暮らすつもりだったんだろ」
「そうしたかったけど…まだ幼いあの子たちにとっては、姉よりも両親が必要だったのよ。シスターの話では、とてもいい人たちだって。テレサくらいの子供をなくしたそうで、テレサを自分の子供のように可愛がっているって。もちろん、ジェレマイアもだけど」
「そうだったのか。」
「この間、テレサから手紙が来たの。元気でやっているって。カリフォルニアでは召使つきの大きな屋敷に住んでいて、新しい親も優しくしてくれてるって。」
「カリフォルニアに行く前には会ったのか?」
「いいえ、急だったんで、会えず終いだった。こっちも忙しかったし」
「そうか…会いに行きたいだろ」
「もちろん、いつかね、いつか…。」
ルーはうつむいたまま、テーブルに置いた両手を握り締めた。
「時々思うの。仕事で西へのルートを走りながら、このままずっと走っていったらあの子たちのいるカリフォルニアに行けるのに、って」
ジミーは、思わず自分の片手をルーの手の上に重ねた。今日が特別だからというより、勝手に手が動いたのだ。
「きっといつか会えるよ」
ルーは顔をあげてジミーを見ると、寂しそうに微笑んだ。
「ありがとう、優しいのね。…ねぇ、ちょっと湿っぽくなっちゃったから、外に出ない?まだ外は明るいから」

 そろそろ日が傾きかけていた。二人は町を横切ると、町外れを流れる小川のほとりに来た。川の向こうに見える山に、傾きかけた夕日がかかろうとしていた。そのあたりから森が始まっており、ルーにとっては昨夜の悪夢を思い出させる景色だった。しかし、敢えてルーはこの場所を選んだ。
「わたしね、小さい頃から変な癖があってね…」
ルーはジミーに話すというより、自分に語りかけるように話し出した。
「いろんな嫌なこと、辛いこと、悲しいことがあると、その思いを全部夕日に投げて、一緒に沈んでもらうことにしているの。そうすれば、次の日は元気になれるから。今日は辛くても明日はいいことがありますようにって、夕日にお祈りするの」
ジミーは黙って聞いていた。ルーはジミーを見て恥ずかしそうに言った。
「おかしい?子供じみてるかもね。笑ってもいいよ」
「いや、そんなことないよ…」
ルーは夕日の方に向き直ると、一心に祈るような遠い目をした。その頬に一筋の涙が流れていくのを、ジミーは黙って見つめていた。
  傾き始めた夕日が沈むのは早い。見る見るうちに、太陽は山の陰に隠れてしまった。
「沈んだ…。これでもう悲しいことはおしまいにしなきゃ」
ルーは手のひらで涙をぬぐうと、笑ってみせようとした。
「無理しなくていいよ。泣きたいときは泣けばいい」
ルーは傍らのジミーを見あげた。その顔がゆんだかと思うと、息が詰まったかのような押し殺した声をたてた。ルーは慌てて両手で顔を覆うと後ろを向いてしまった。
「ごめん、あたしってば泣いてばかりだよね。こんなはずじゃないのに…。あんただって辛いはずなのに」
しゃくりあげるたび、肩がひくひくと動く。ジミーはルーに近づくと肩にそっと手を置いた。ルーを振り向かせようとすると、ルーの方からジミーの胸に飛び込んできた。ルーはジミーの胸に顔をうずめると、声をあげて泣いた。出発したキャンプの夜よりも激しく。ジミーの方も泣きたい気分だったが、自分の分までルーが泣いてくれているような気がした。ジミーは片手でルーの肩を抱き、片手で髪をなでてやった。
「それでいい。今日は特別な日なんだから。」
そこでちょっとためらい、つぶやくように続けた。
「これからだって、いつでも…俺が夕日の代わりになってやるよ」
その言葉に、ルーの目から新たな涙がこぼれ落ちる。
「こんなことを言っても慰めにならないかもしれないが、俺はいつもお前の味方だ」
  ルーは目を泣きはらしたままジミーを見あげた。その目が、自分を見つめ下ろす静かなまなざしと出会った。そう、この人はいつもこんな風に私を見ていてくれた。私が何であろうと、誰と何をしようと、変わらずに私そのものを見てくれて、いつも私を尊重し理解しようとしてくれた。ルーの頭に、今までにジミーがしてくれた数限りないできごとが浮かんできた。こんな人がそばにいてくれたんだ。そして、この人もまた傷をたくさん負いながら、泣くこともできずに耐えてきたのだ。
  ルーは両腕をジミーの首に回すと顔をひきよせ、その唇にそっと唇を重ねた。ジミーはされるままにじっと立っていたが、やがて、ぎこちなくルーを抱きしめ、キスを返してきた。まるで初めて女の子にキスするときのように、最初はおそるおそる、次第に情熱的に。似たようなことが少し前にあったっけ。そう、デイジーが来たときだった。あのときのルーは未来を思い悩み、ジミーに慰めを求めてきたのだった。でも、今は状況が違う。ルーはもう自由だ。だから何なんだ。たとえ、これから先も俺がルーにとって慰めの存在でしかないとしても、彼女を守りたいと思う気持ちに変わりはないだろう。
  ルーには、ジミーのその想いがよくわかった。ジミーが感じているためらいの気持ちや悲しさが痛いほど伝わってきた。ルーは頬をジミーの頬に寄せ、両腕でぎゅっとジミーの体を抱きしめると、耳元でささやいた。
「大好きよ、ジミー」
いつの間にかルーの涙は止まっていた。逆に、ジミーの目の方が潤んでいた。今日一日はルーを喜ばせようとジミーなりに頑張ってきたつもりだが、昨夜の一件で自分がかなり落ち込んでいたのも確かだった。張り詰めていたものが切れそうになる。声を出すと震えそうなので黙っていると、それを知ってか知らずかルーが言った。
「もう少しだけ、こうしていさせて」
二人は何も言わずに抱き合ったまま、ただ互いの体温を感じていた。群青色に変わっていく空の下、小川のせせらぎだけが聞こえていた。

  「ワインってやっぱりおいしいわ」
ルーはグラスを両手で包み込み、ジミーに向かってにっこりしてみせた。夕食時、二人は再び同じレストランに来ていた。奇しくも昨日と同じ席。しかし、たった一日で二人の世界はまるきり違ってしまった。ルーはお気に入りのワインで少し酔い、ご機嫌だった。今日も饒舌気味だったが、一度も「ヒコック」と口に出さず、「ジミー」と呼びかけることさえ控えていることにジミーは気づいていた。
「酒に弱いとは知らなかったな」
「あら、いいじゃない。とってもいい気持ち」
ルーはそう言うと今度はテーブルに突っ伏してしまった。
「おい、どうしたんだよ」
ジミーが慌てて起こそうとすると、その頭ががくんと垂れる。
「寝てしまったのかよ、こんなところで」
ジミーは呆れながらも思わず笑ってしまった。周りのテーブルの人たちが見ているのが少々気になる。
「まったく、とんだお嬢さんだ」
 ジミーは、ルーを抱えるようにしてホテルに戻ると、ルーをベッドに寝かせた。ふぅっ、とため息をつき、ジミーもベッドに腰掛ける。思いがけない一日だった。楽しかったが少々疲れたかな。
 その時、ルーの手がジミーの上着のすそを引っ張った。
「行かないで…」
夢を見ているようだ。閉じた瞳に、また涙が浮かんで光っている。立ち上がってルーの手を上着から離そうとすると、目を閉じたままルーが再びつぶやいた。
「そばにいて」
ジミーはベッドに座りなおすと、両手でルーの小さい手を包みこんで、ささやいた。
「どこにも行かないよ」

  翌朝、ルーは元気いっぱいに起き出した。さっさと着替えると、まだ寝ていたジミーを起こしにかかる。
「おはよう、ジミー。まだ寝てるの?」
「おまえ、元気だな。夕べあんなに酔ってたのに。頭が痛くないのか?」
「んー、痛くない。ぐっすり眠って最高の気分」
「まいったな。俺は体中が痛いよ」
「年とったんじゃない?」
ルーがからかう。
  ジミーの方は、寝ぼけたルーの相手をしてなかなか眠れなかったのだが、それを口にするのはやめた。ルーの元気な顔を見られれば、それで満足だ。ライダーの服を着て元気よく動き回るルーを見て、ジミーはふと思った。昨日のキスは何だったのかな。特別な一日の中のできごとだから、なかったことになるのかな。それにしても忘れがたい素敵なキスだった。これが本物だったらいいと思うくらい…。いや、昨日のことはなかったことにするんだ。ジミーは自分にそう言い聞かせて、現実に戻ろうと決心した。
  二人は簡単な朝食をすませてホテルを出ると厩舎に向かった。二日間たっぷり休みをもらえた馬達は、二人の姿を見ると、やる気満々でいなないた。二人は手早く荷物を鞍にくくりつける。大事な書類はジミーの上着のポケットにしまった。思えばこの書類が遅れたおかげで天国と地獄を経験したのだった。
「さあ、行くか」
「待って」
馬にまたがったジミーに、ルーが自分の馬を寄せてきた。そして、鞍の上で思い切り体を伸ばして、ジミーの頬にキスをした。
「ジミー、ありがとう」
「…楽しかったな」
二人は見つめ合うと、微笑んだ。
「さあ、行きましょ。悲しいことは過去に流して。新しい一日へ」
ルーが馬にハイッと掛け声をかけた。二頭の馬が朝日の中に駆け出す。そう、後ろを振り返っていたら前には進めない。先へ進もう、新しい日々へ---!

* * *

エピローグ


 「ライダーが来るぞぉ!」
誰かが叫ぶ。Sweetwaterの中継所の建物から、ティースプンがゆっくりと外に出てきた。午後の日差しの中をやってくる馬は二頭。ルーとジミーだ。二人はまっすぐにティースプンの前に乗り付けると、書類の包みを取り出した。
「やけに遅かったようだな」
ティースプンは書類を調べながら言った。
「ウィロースプリングスに荷物が届くのが一日遅れたんだ」
ジミーが何気なく答えるのを、ルーが"しまった"というように見た。
「ん?わしの計算が正しければ、一日遅れただけなら、お前達は夕べ帰っていたはずだ」
「ちょっとごたごたがあってね…」
ルーが助け舟を出す。
「この荷物よりも大切なことか?」
「そう。あたしが誘拐されていたんだ」
ルーはさらりと言ってのけた。今度はジミーの方が慌ててルーを見る。
「誘拐だぁ?そんな冗談でわしをだませると思っとるのかね?」
「何とでも思っていいよ。とにかく荷物は持ってきたんだからいいでしょ」
ティースプンはルーの勢いに気押されて、それ以上追求しないことにした。
「その、特に問題はないが…次に運ぶライダーが待ってるんでな。まぁ、ご苦労だった」
  ルーはティースプンににっこりすると、ジミーと肩を並べて厩に向かった。二人が笑い声をあげながら歩く後ろ姿を、ティースプンは目を細めて見ていた。
「何があったか知らんが、ルーは立ち直ったようだ。ジミーを同行させたのは正しかったようだな」
ティースプンは満足そうに微笑むと、宿舎に向かい、声をはりあげた。
「次のライダーは誰だ?ぐずぐずするな、仕事だぞ!」


(おわり)


  ルーとジミーがデートをする嬉しいお話「いとしのサマンサ」。でも、その最後はあまりにも悲しいものでした。そのままで終わってしまうのは辛すぎるので、この後に続きがあって幸せな終わり方をして欲しいと以前から思っていました。また、ルーがドレスを着ると必ず何か不幸な事件が起こる、というジンクスを破りたかったという気持ちもあります。
  ただ、この話自体は前から考えていたわけではなく、ビデオで「小さなデイジー」を見た晩、ふと浮かんできたものです。興奮して眠れないまま夜中の2時に起きだし、4時までノートにメモをかきなぐり、それをベースとして使いました。一晩でできあがった特別な一日の話。あまり過激にはせず、いかにもありそうな現実的な話にしてみたつもりです。また、自分で気になっていたことを勝手に解釈して書き込んだので、自分としてはこれを書くことで気持ちを落ち着かせることができました。みなさんにもお楽しみいただけたなら幸いです。


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